ソウル・島山(トサン)公園の角に建つメゾン エルメス ドサン パーク。
金色の木製ルーバーで覆われた建物の外周に、色の異なるショーウィンドウが点々と埋め込まれています。
その全てが、荒々しく木を削り出した造形の彫刻作品で埋め尽くされていました。手がけたのは韓国の作家イ・ドンフン(Donghoon Rhee、1991年生)です。

タイトルは“A Journey Beyond the Window”=窓の外へ発つ旅。
2026年8月5日から11月15日までの、秋のウィンドウディスプレイ企画です。

ラグジュアリーブランドのウィンドウに現代美術の作家が入ること自体は珍しくありませんが、今回の展示企画は、商品の背景として作品が置かれているのではなく、作品のなかに商品が並んでいるところに注目しました。
「観察 → 彫刻 → 絵画」
イ・ドンフンは1991年生まれ。慶熙大学校 美術学部 絵画科を2017年に卒業し、2020年にソウル科学技術大学校 大学院 造形芸術科の修士課程を修了しています。キャリアの出発点は彫刻ではなく絵画でした。
初期(2015〜16年頃)は文学的な物語を平面に移す実験をしていましたが、「何をどう描くか」という問いがやがてキャンバスという支持体そのものへの関心に移り、そこから絵画の外側へはみ出す形で彫刻に踏み込んでいきます。「화병(花瓶)」(2018年〜)や「화분(植木鉢)」(2018年〜)の連作がその転換点で、静物画に出てくるような対象を観察し、いったん木で彫り、その彫刻をふたたび平面の絵画に描き戻します。観察 → 彫刻 → 絵画という制作スタイルが作家の基本構造になりました。
素材は韓国赤松、楡(にれ)、樺、銀杏など。木目と質感を残したまま素早い手つきで塊をつくり、その上に色を置きます。物体としての手触りと、平面的な錯覚とが同じ表面で同時に交錯する——彼の彫刻が「絵画的」と言われるのは、そのためです。
K-POPの振付を、木に刻む
この作家の名前が広く知られるようになったのは、モチーフがモノから人の動きに変わってからです。
2021年、ソウルの갤러리SP(ギャラリーSP)での個展「조각이 춤도 추네요(彫刻も踊るんですね)」で発表した《Black Mamba》《Not Shy》は、K-POPアイドルの振付から抜き出した連続する身振りを、ひとつの造形として並置したものでした。動かないはずの彫刻のなかに、動きの時間そのものを移植する試みです。翌年には、同じモチーフを平面へ折り返した作品にも続いていきます。
2022年、ロサンゼルスのVSF & milk での個展「Woman」で国際的なデビューを果たします。NewJeansのヘイン、aespaのウィンターといったパフォーマーの、シンクロした一瞬の身振りを電動ノコギリで削り出した連作です。制作時、ダンス写真の隣にウィレム・デ・クーニングの図版を並べて置いていたという逸話が残っています。荒いストロークと、現代のガールズグループの身体。その二つを重ねることがテーマでした。
2023年の個展「가벼운 안무(軽やかな振付)」(ギャラリーSP)では、素材を木から紙へ移します。《New Jeans》(2023)や紙のレリーフ《Compilation 1》(2023)では、紙のたわみ・皺・裂けを使って振付の刹那を固定しました。彫刻が断片化され、組み立てられ、「形」よりも「動き」が前に出てきた作品になりました。
収蔵と、日本での紹介
作品は済州現代美術館、蔚山市立美術館、National Museum of Modern and Contemporary Art, Korea, Art Bankに収蔵されています。2022年にはソウル市立北ソウル美術館「조각충동(彫刻衝動)」、済州現代美術館「NEW RISING ARTIST:探索者」、蔚山市立美術館「オブジェクト・ユニバース」と公立館の企画が続き、2023年にはジャカルタのサリハラ・アートセンター、2025年にはソウル市の衿川芸術工場でレジデンシーと展覧会「Symbiotic Planet」に参加しています。
日本での展示実績もあります。東京のbiscuit gallery のグループ展「grid4」(2024年)と「Second Signal」(2025年)と2回にわたって参加しています。
エルメスとのコラボレーション
メゾン エルメス ドサン パークは2006年11月開業、エルメスにとって世界で4番目のメゾンにあたります。
一階のショーウィンドウは季節の変わり目に年4回入れ替わり、その都度、国内外の作家がエルメスのオブジェを使って物語を組み立てる場所として使われてきました。

この企画を2014年から約10年にわたって担ってきたのが、デザイナーの잭슨홍(Jackson Hong)です。2024年夏の「フォーブル24番地の不思議な夏祭り」——パリ本店の増築100年を記念した回——も彼の仕事でした。
「冒険の呼び声」
2026年のエルメスの年間テーマは「冒険の呼び声(L’appel du large)」。バッグからメイクアップ、そして世界中の店舗のウィンドウまで、ブランドのコンセプトとして幅広く展開されていきます。

窓のなかの、部屋
本企画でいちばん注目したのは、室内をまるごと作ってしまったコーナーです。黄色い壁の部屋には、木を削り出した花瓶に赤い花が生けられ、水色のテーブルにスイカを盛った皿が並びます。窓の外の風景も広がっていて、そのすべてがドンフンの木彫で構成されていました。


別の黄色い部屋では、木の鎧戸が開いていて、その向こうにチューリップ畑が広がっています。ベンチの上には花、鞄、そして赤いはさみ。道具も花も同じ木の質感で彫られています。

また、ピンク色に塗られた木と、ブルーの馬。枝には果実がぶら下がり、鳥やうさぎもいる楽しそうな風景です。

右手にはオレンジの瓦屋根と濃紺の壁面の家が建ちます。手前は平面的な色面、奥は遠近のある空間。絵画と彫刻の往復というこの作家のテーマが、そのまま一枚の窓の奥行きとして立ち上がっています。


果物を並べたテーブルの窓では、鉢植えの木に実が一粒ずつ彫り出されていました。赤い枠が視界を切り取り、その向こうにまた窓があります。




木の壁にあいた、小さな窓
この展示のいちばん面白い部分は、実は大窓ではありません。ルーバーの壁にぽつぽつとあいた、額縁ほどの小窓です。




そして最後の小窓では、青く塗られた木彫の壺から、革の小物が三つ、花のように伸びていました。茎はストラップ、花は商品そのものです。

商品を作品の隣に置くのではなく、作品のなかに商品を組み込んでしまう。ここまで徹底すると、もう「ディスプレイ」という言葉では足りません。
削り跡を消さずに残す彼の木彫は、手の痕跡を見せるという点でエルメスの職人仕事と同じ共通言語で語られています。ブランドのクラフトマンシップを説明的に語るのではない手法です。
会期は11月15日まで。ショーウィンドウなので、閉店後も通りから見えます。島山公園あたりを歩く予定があるなら、建物の外周に沿ってひとつずつ覗いてみてください。