東京国立近代美術館で開かれている「杉本博司 絶滅写真」を見てきました。会期は9月13日(日)まで、残りわずかです。
初期の〈ジオラマ〉から2025年の新作まで、銀塩写真およそ60点。全13シリーズを3つの章に分けて構成されています。写真作品だけで構成された国内の美術館個展は、2005年の森美術館以来だそうです。

「絶滅写真」とは
杉本さん自身が本展に寄せた文章は、この一文から始まります。
今、写真から何が絶滅したのか。それは写真の証拠能力に他ならない。写真は21世紀に入り急速にデジタル化した。デジタル画像は如何様にも変換可能である。
同じ文章のなかに、もうひとつ印象的な箇所があります。2009年に高松宮殿下記念世界文化賞を受賞したときの話です。
しかし皮肉なことに私の受賞したのは絵画部門だった。(中略)私は嬉しくも悲しかった。絵は絵空事を描くメディアだ。写真は真実を描くメディアなのだ。見損なってもらっては困る、と言いたかったのだ。今、写真は絵の代替えメディアに堕してしまったようだ。
写真を格上げしたい、という野心から始まった作家人生が、絵画部門での受賞というかたちで報われる。その皮肉を、本人が正面から書いています。本展の「絶滅」は、まず銀塩写真というメディアの絶滅であり、同時に作家自身の作家活動の終幕でもあるようです。
すべての作品に狂歌
本展でいちばん驚かされたのは、全13シリーズの章解説と、個々の作品解説。そのすべてに、五七五七七の歌が添えられています。
詠み手は「素遁卿」。すっとんきょう、と読みます。杉本さん自身の筆名です。解説パネルの下部には「作品解説:杉本博司/狂歌:素遁卿(杉本博司)」と人を食ったようなクレジットがありました。

たとえば〈人類の来た道〉のガラパゴス島。ダーウィンが進化論にたどり着いた経緯を説明したあとに、こう置かれます。
けだもののみちきわめきていまのひと ひととは言えどいまもけだもの
〈ムブティ・ピグミー〉では、狩猟採取の暮らしを説明したあとに、こうです。
森のなか生きとし生けるおめぐみを かたじけなくも与えらるらん

杉本さんは開幕時に「現代アートの展覧会ですが、狂歌や和歌を導入することで、日本の中世的な様式も呼び起こしている」と語っています。参照元として挙げたのは、室町時代の国宝《瓢鮎図》。絵と、それに寄せられた画賛が一体になった作品です。
賛否は分かれています
この仕掛けは開幕前から話題になりました。東京国立近代美術館のウェブマガジンに寄稿した大澤紗蓉子さん(横浜美術館主任学芸員)は、杉本さんの耳に入った「前評判は、写真よりも狂歌を話題にするものばかり」だったと書いています。
一方で、厳しい評もあります。雑誌『写真』の視点に寄せた展評で、飯島モトハさんはこう書きました。
写真が観客の想像力を開くのに対し、この日本語の羅列ではその想像力を先回りして塞いでしまう
「90年代テレビ広告の出涸らしのようなどこかで聞いた」言葉を「並べただけの安い表現」であり、「結果としてただの交通事故だ」とまで書かれています。
https://note.com/shashinmagazine/n/n0581a68f13dd
〈海景〉の前に立ったときに立ち上がる静謐な緊張感と、その横で五七五七七がしゃべり出すことの相性は、確かによくありません。
1章「時間・光・記憶」
1970年代から80年代にかけて着手され、杉本博司という作家の評価を決めた3つのシリーズが並びます。
〈ジオラマ〉
アメリカ自然史博物館のジオラマ展示を、大判カメラで精緻に撮る。デビュー作にあたるシリーズです。動くものの姿を止めてみせるはずの写真が、ここでは逆に、動かない剥製にあたかも生があるかのような一瞬を与える装置として働きます。

どんな虚像でも、一度写真に撮ってしまえば、実像になるのだ

そして今回の目玉のひとつが、初公開の新作《ポコット族》です。1975年のシリーズ開始時からひそかに構想され、半世紀を超えてついに実現に至ったという、人類史をめぐる物語がここで初めてまとまったかたちで提示されます。

〈劇場〉
「映画一本を写真で撮ったとせよ」という自問に対して、「光輝くスクリーンが与えられるであろう」と自答する。映画1本ぶんを長時間露光で撮ると、物語はすべて真っ白に輝く四角い光へと還元されます。

撮影地に選ばれたのは、映画の黄金時代に建てられた劇場です。ただ、杉本さんがこのシリーズに着手した頃、映画館はすでに斜陽の時代を迎えていました。「絶滅」へのまなざしは40年以上前のこの連作にすでに現れていた、というのが本展の見立てです。

〈海景〉
水平線をはさんで下半分が海、上半分が空。それ以外の要素は画面から一切排除されています。「原始人の見ていた風景を、現代人も同じように見ることは可能か」という、自ら立てた問いへの回答として着想されたシリーズです。1980年の第一作《カリブ海、ジャマイカ》以降、世界各地の海を完全に同じ構図で撮り続けています。

《相模湾、江之浦》は2025年の新作です。江之浦測候所のある相模湾。45年ぶんの時間をはさんだ同じ構図が、初期作の隣に並びます。
2章「観念の形」
人間の知性や想像力がつくりだしたさまざまな「かたち」を主題に、90年代末から展開されたシリーズです。
〈建築〉
「私は大型カメラを使い、焦点をボカすことによって、建築が建つ前の、建築家の脳内ビジョンが再現できるのではと考えた」。カメラの焦点距離を「無限の倍」に設定して撮る、という方法が採られています。

《ワールド・トレード・センター》は1997年の撮影です。9.11のテロで失われる4年前の写真です。

〈観念の形〉
数学的な曲面(ディニ曲面など)を立体化した石膏模型を撮ったシリーズです。人間の頭の中にしかなかった概念が、物質の形をとって現れます。

〈スタイアライズド・スカルプチャー〉
ファッションを「人体とそれを包む人工皮膚を近代彫刻としてみる」という視点でとらえた連作です。今回は初公開の新作として、クリスチャン・ディオールの「Bar」スーツ(1947年 オートクチュール春夏、コロール・ライン)が出ています。本展の特別協賛はDIORです。

3章「絶滅写真」
終焉を迎えつつある銀塩写真というメディアの、始原にさかのぼる章です。6つのシリーズが並びます。

化石は、光ではなく時間が刻んだ像です。写真より前の「記録装置」として、三葉虫がここに置かれています。
〈フォトジェニック・ドローイング〉

〈肖像〉
「剥製の白熊が生きているように撮れるのなら、蝋人形も生きているように撮れるだろう」。ロンドンのマダム・タッソー蝋人形館などで撮影された連作で、〈ジオラマ〉の系譜に連なります。蝋人形館の設立は1835年、写真術の黎明期とちょうど重なります。


同じシリーズに《昭和天皇》があります。1999年、ロンドンのマダム・タッソー蝋人形館の蝋人形を撮ったものです。ハンス・ホルバインが描いた《ヘンリー8世の肖像》の光を研究したという照明が、蝋を肌に見せています。
〈放電場〉
フィルムに直接電荷を放って像を得る連作です。カメラもレンズも使わない、光そのものの記録という点で、写真の始原に触れています。

〈Opticks〉
17世紀にニュートンが試みたプリズムによる分光実験を再現した近作です。撮影にポラロイドフィルムを用い、デジタルプロセスを介して画面のノイズを除去したうえで大判のカラー印画紙にプリントするという、杉本作品のなかでは異例の手法でつくられています。「光を絵の具として使った新しい絵(ペインティング)を描くことができたように思える」と本人は記しています。
銀塩写真の絶滅をテーマにした展覧会の最後に、デジタルを経由した色の作品が置かれているところが面白いですね。

ゼラチン・シルバー・プリントという物質
「銀塩写真」とは、銀の化合物が光に反応する性質を利用して画像を形成する写真技法のことです。杉本作品に使われている「ゼラチン・シルバー・プリント」は、紙の上に塗布された銀塩入りのゼラチン乳剤層に画像が形成される方式で、モノクロ写真のもっとも普及した技法です。
作品を買う側から見ると、ここは技法の話だけでは終わりません。撮影から現像、印画紙へのプリントまで、すべてが暗室での手仕事です。印画紙という材料そのものが市場から消えれば、同じ物質で刷り直すことはできなくなります。
黄ばんで極端に感度の落ちた印画紙もなかなか味があるのだ。私は銀塩写真の寿命と私の寿命とが響き合っていることに幸せを感じている。
晩年を迎えている作家と、素材の寿命、メディアの寿命。この3つが同じタイミングで訪れている中での展覧会でした。

会期は9月13日(日)まで
金曜・土曜は20:00まで開いています(入館は閉館の30分前まで)。最終週の週末は混雑が予想されますので、時間に余裕をもって出かけられるのがよさそうです。本展のチケットで、入館当日に限り所蔵作品展「MOMATコレクション」(4-2F)も見られます。
杉本博司(すぎもと ひろし)
1948年生まれ。1970年に渡米し、1974年からニューヨークと日本を行き来しながら制作を続けています。初期代表作に〈ジオラマ〉〈海景〉〈劇場〉のシリーズ。2008年に建築設計事務所「新素材研究所」、2009年に公益財団法人小田原文化財団を設立し、2017年には構想から10年をかけて建設された文化施設「小田原文化財団 江之浦測候所」を開設しました。古美術蒐集、舞台芸術など活動分野は多岐にわたり、演出と空間を手掛けた『At the Hawk’s Well / 鷹の井戸』は2019年秋にパリ・オペラ座で上演されています。2001年ハッセルブラッド国際写真賞、2009年高松宮殿下記念世界文化賞(絵画部門)受賞、2010年秋の紫綬褒章受章、2013年フランス芸術文化勲章オフィシエ叙勲。2017年文化功労者に選出、2023年日本芸術院会員に就任。
本記事に掲載した作品画像は「杉本博司 絶滅写真」広報事務局よりご提供いただいたものです。画像の無断転載を禁じます。展示風景の写真は art on 編集部が会場で撮影したものです。
《スタイアライズド・スカルプチャー 120[クリスチャン・ディオール、Bar 1947]》:Photo: © Hiroshi Sugimoto, Object: © Christian Dior Couture collection, Paris
上記以外のすべての作品画像:© Hiroshi Sugimoto / Courtesy of Gallery Koyanagi